1588年(天正十六年)、佐々成政にかわって加藤清正と小西行長が肥後の領主に なった。清正は熊本城の築城に着手するのだが、その石材の一部がこの山から切り出されている。

またこの山は祇園宮があったので、祇園山と呼ばれていた。 そして現在においても妙法寺などの神社、仏閣があり荘厳な雰囲気を醸し出している。 山頂からは熊本市内を一望でき、夜景のきれいな場所としても知られている。

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腰掛石

加藤清正は自ら石材切り出しの現場監督をしたといわ れており、そのときこの石に腰掛け休息したといわれる。

兜石

清正が兜を置いていたといわれる石。
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鐘掛松跡

採石作業のとき始業、休憩などの合図に使われた鐘が掛けられていた 松があったといわれるところ。

乳水

元祇園宮の社殿脇からの涌き水で、この水を飲めば母乳の出が良くなると伝えられる。
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阿蘇殿松跡

1593年(文禄二年)阿蘇大宮司惟種の嫡子惟光が、豊臣秀吉 に自刃させらた場所。惟光12歳のときである。

熊本バンド奉教之碑

1879年(明治九年)キリスト教に入信しようとした35名(富徳蘇峰もいた )が奉教の誓をし、キリスト教を広めようと誓い合った場所。この碑は昭和四十年建立。碑面は蘇峰の書。