「そこに山があったから」という理由で登ったわけではなく、またヘミングウェイが好 きで「干からびて凍りついた豹の屍」の説明をするために登ったわけでもない。 なにかが見えるかもしれないと登ってみた。

この頃のボクと言えば、よく若い頃にありがちな「なんでもできるだろう」なんていう 考えの持ち主でしたし、そういった根拠なき自信だけで行動していたようです。

今考えるとかなり無謀なことだと思います。そして当時のことを思い出すたびに、少し 酔ったような気分になります。ちょうど初めてお酒を飲んだときのことを思い出すよう に。

このキリマンジャロ登山にしてもそうです。それまでに 少しでも登山に興味があったりしたわけでもないし、 登ったことがあったのは……、標高数百メートルの八丈富士だけだったので すから。それでも登れるという根拠なき自信だけはありました。

根拠がないと言いましたが、それはただ無知なだけだったというのは後になって 知らされたことであり、また分かったことでありました。 今では「人間はなんでもできる」ということに対して懐疑的なのであります。

当たり前のことが分からない時期というのがあります。それはボクだけではなくて 誰しもが感じたことのあることなのかもしれませんね。「お金で買えないものがある」 ということぐらいに「人間にはできないことがある」ということは分かりにくいことかも しれません。こうして書いているボク自身なんだか意味不明になってきましたが、 ま、そういうことです。

この世界七大陸の最高峰、いわゆるセブンサミットのひとつであるキリマンジャロ 登山から14年後の春、ボクは四国石鎚山にいました。3月とはいえ数十センチの 積雪がありました。ボクは成就社から先には行けませんでした。冬山を登るには 技術不足でした。ボクは考えていました「どうやってあのキリマンジャロに 登ったんだろう?」かと。

さて、前置きが長くなったが…キリマンジャロである。「根拠なき自信」と書いたが 全く勝ち目のない勝負はしないのが動物の本能である。と思う。ボクにも勝算はあった し、体力的にも少なからず自信があったのだ。

そもそも「登る気」になったのはこの前年に登ったoさんやsさんの話を聞いたからで ある。話を聞いたのが登山の動機だとすると、「そこに山があったから」ではなくて 「そこに山の話があったから」と、まあなんともアルピニズムとはかけ離れたカンジの ものだったのである。

「そこに山の話があったから」という動機なので、計画もその「話」の内容と酷似する ことになる。バックパッカーの旅なんてのもだいたいそんなものである。 旅先での情報というのが旅の計画を決めていくようである。

旅の計画は酷似していたにしろ、その内容はかなり違うものである。 なぜか?それは、山に対する思い入れがoさんとボクとでは違ったからである。 oさんは自他とも認めるナチュラリストだったし、それ以前にも山行はあったろうから 山と接する方法を知っていたのだけれども、ボクはと言えば、多分、 酔った勢いで「登りますよ」と言ってしまったので後に引けなかった…というのが 実は本当の話らしいのだ。

「登りますよ」と宣言したボクのキリマンジャロ登山の計画は粛々と進められた。 と書きたいところだが、実際は何もしなかったようで、計画というものの記憶が ない。ただsさんが言った一言が今でも耳に残る。それは「モシのymcaへ行ったら どうにかなるよバンブー」。

「どうにかなる」というのは、モシのymcaホテルの中にあるkibo travels ltd. に「キリマンジャロに登りたい」と言えばガイドやポーターやらの手配を 全てしてくれる、ということなのである。おまけに道具も貸してくれると言うので、 ボクはただただ「モシのymca、kibo travels ltd.」と呪文のように唱えていれば 良かっただけのことであった。

そしてボクはaddis ababa空港を飛び立ち、あっと言う間にkilimanjaro空港に 降り立ったのである。そしてタクシーに乗り「モシのymca、kibo travels ltd.」 と、唱え続けた呪文を運転手に言った。ボクはかなり緊張していた。 モシのymcaへ行ったらどうにかなるよバンブー」と言ったsさんの酔いつぶれた顔を 思い出した。そして「本当かよ〜助さん」とつぶやいた。身体はautomatically に山へ運ばれるように感じられた。

maskal home pagemt. kilimanjaro
文中に登場するoさんのサイトです。この山行記録とほぼ同じ日程とコースでした。