エチオピア004

健康ブームというわけでもないのだろう。長く生きたいというのは誰しもが持っている 欲望なのかもしれない。最近ではコエンザイムq10などというものが流行っている らしい。黒酢にアミノ酸、ビタミン剤にポリフェノールなどなど、ウォーキング、 アウトドア、マイナスイオンに空気清浄機、食べすぎでダイエット……。

「発掘あるある…」などのテレビ番組に代表されるように、 “身体に良いこと”が画面に流れる。“身体に悪いこと”を挙げてもらったほうが分か りやすいのだが……。食べ物に対して優劣を説くこの国の平均寿命は80歳を超える。

平均寿命42.3歳という人生。 笑顔は、今日生き延びられたという過去への感謝、あるいは明日への憧憬だろうか。

アンバ子供村はaddis ababaから南に200キロメートルほど行ったところにあった。 戦災や飢餓などで親を失くした孤児4000人と、それと同じ数のスタッフが暮らす 孤児収容施設だった。1980年代にスエーデンのoda(だったかngoだったかは忘れたが) が設立したこの子供村は4200ヘクタール(42平方キロメートル)の敷地に学校や 宿泊施設はもちろんのこと、農場や工場などを備えて自給自足を目指していた。

「メンギスツの子供」と呼ばれていた。時の大統領メンギスツ・ハイレ・マリアム の子供ということだ。 戦争対策にも思われた。戦死しても子供たちはここでちゃんと 教育も受けられ育てられる、という政策。孤児となっては養父メンギスツ大統領の ためにいずれは戦死も辞さない、ということである。

しかし例えその政治的意図によって収容されているとはいえ、、 ストリートチルドレンとなって路上生活するよりは食べられるだけでも まし、いや普通以上の生活は約束されていたから、子供たちにとっては楽園だったの かもしれない。

なにしろ4000人という孤児の数は、エチオピア国内にいたであろう 孤児の一部にしか過ぎなかったのだから。いくら行動を制限されようが、将来は 軍人になりその生命を国家に捧げたとしても、食って寝れるということは全てを忘れ させる何よりのものだったに違いない。

子供たちは明るかった。彼らの今や将来を考えると、ボクのほうが落ち込みそうになった のだが、彼らは何もなかったかのように、そして希望の光さえ見えるほどに明るかった。 機械仕掛けの人形のようにも思われた。社会主義国家だったから、ボクがそう思うのも 不思議ではなかった。

比べると、日本の子供と比べると、何が楽しいのだろうと思った。 テレビや漫画ましてゲームなんてない。おやつ、小遣いなんてのはもちろんない。 命はある。

恨む相手がいない。文句を言える場所がない。

「貧富とは比較でしかないのであろうか?」いや絶対貧困ってのがある。 命だけあって、それを維持するだけに生きている。その中で生きている人々には 比較とかなんとかじゃなくて、ここが見えないし知らないのだから、それは 知っているボクたちがどうにかしなければならない問題なのだろう。

「どうにかする」と書いたが、実はどうにもできないという思いもある。 それは援助する人々のジレンマだろうとも思われる。

例えば4000人の孤児はethiopia全体からすると10分の1ぐらいかもしれない。 全てではない。 この貧困の国で、援助ということに関わりあえる人というのは、限られた人々なの だ。見捨てられ見殺しにされている命もあるということだ。全てを救うことは 出来ない。そして世界中の全ての人々が同じような生活が出来るようになるなんて ことも、夢でしかない。と思う。

子供たちの笑顔は、今日生き延びられたという過去への感謝、あるいは明日への 憧憬だろうか。それとも己の身を悲嘆するのではなく受け入れてしまうほどの 心の豊かさからなのだろうか。