アワサという町だった。なぜここに来たのかは憶えていない。前夜この町のブンナベット に泊まった。いつものようにカビ臭いベットだった。相変わらずわけのわからない痒みに 悩まされた。生温いmetaビールを三本ほど飲んだ。

そんな記憶の断片を繋ぎ合わせてみても、アワサへなぜ行ったのか思い出せないでいる。 ただ建造中のモスクが美しかったし、アワサで写した写真と言えばこのモスクのもの だけだった。

ボクを含めた日本人の大部分は仏教徒らしいのだが、生活するうえであまり宗教というも のを意識してないのかもしれない。考えてみると、冠婚葬祭では宗教的儀式に則って 行うが、冠婚葬祭の婚では仏式の結婚式をあまり聞かないし、最近ではキリスト教式の ものが持て囃されているいるようである。

それがどうしたというのではなくて、ま、それ はそれで、日本人の美しい包容力とでも言えるかもしれないし、神仏混淆の名残だろうし、 それはそれでいいとは思うのだが……。 毎日行う宗教的なことと言えば、仏壇や神棚へのお参りぐらいなものでしょうか?

ethiopiaの人口の30%ほどがイスラム教徒だという。このイスラム教徒はキッチリと イスラム教徒なのである。イスラム教は一神教なので「神様仏様…」なんてことは 絶対言わないのである。

美しい。モスクの姿もだ。コーランもだ。なによりも信じるものを信じる人の姿と いうのは美しいと感じた。宗教という総合的な形が表現される。 それは複雑なものというよりも、かなり単純なものの ように思えた。宗教自体はかなり複雑なのであるが、それが外に現れた時はかなり 単純化される。例えば絵画のようであったり、音楽のようであったりして、感覚で 捉えられるようになる。

宗教が身近にある。

まさか異教徒であるボクをこれほどまでに簡単にモスクに入れてくれるとは 思っていなかった。「思っていなかった。」と思ったボクのほうには きっと“異なる”ということへの警戒心みたいなものがあったのかもしれない。

宗教が人を優しくさせるのかもしれない、と思った。

「アワサの思い出はこのモスクだけだよなぁ〜」とやはり考えていた。 なんか学校みたいな所にもいったんだけれども、思い出せないでいる。