崎津天主堂

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底冷えのする日だった。霙混じりの雨が降っていた。 天草は想像していた風景ではなかった。 想い出と言うものは以外と薄情で、その持ち主をも裏切ってしまう。 そして想い出の中の風景は、無限の広がりの中の断片でしか姿を現さない。 それは自分の写した一葉の写真の中に自分の姿を探すようなものかもしれない。

雪空を背景に、その天主堂のシルエットは絵画的であった。 少し歩く。宗教心のない僕にでさえも、心になにかを呼び起こす風景。 風景自体が詩的でさえある。 写真を写す間中にも、その冷たい雨は降り続いていたし、 身体は確かに寒くて震えていたように憶えている。

どこか心が弛緩する。 どこか身体の一部が麻痺してしまう。 そんな風景もある。

20年も前、僕は一度、天草に来たはずなんだ。 それがよく思い出せないのは、きっとそれがある人と一緒だったのかもしれないし、 それが夜だったからかもしれない。

1号橋は確かに通ったはずなんだ。 デジャビュとかじゃなくて、あれは事実だったはずなんだが、 どうしても思い出せないし、僕の記憶の中では天草ははじめてだったんだ。

僕はしばらくの間、そのことをこの教会で考えていた。 と言うよりも、天草にいる間中そのことを考え続けていた。 そうして、こうしている間も考え続けているんだけれども、 どうもうまく想い出というやつを手繰り寄せられないでいる。

(1月11日)

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